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暗闇に佇むいのち・其の向こう側
2005 / 09 / 11 ( Sun ) 23:47:04
私には、もう彼是20年の付き合いになる友人(女性)がいる。
自分が30歳目前である事を考えると、人生の大半を彼女と共に過ごして来たのだなあ…としみじみ思う。此処まで続くのはやはり相当に縁が深いのだろう、彼女が結婚して離れ離れになるかと思いきや、彼女のパートナーの仕事の都合で、今も我が家の近くに住んでいる。車で10分、そんな距離。


其の彼女が、先日叫びを上げた。
「わたし死んじゃいたい…死にたい…辛いの…生きてることが苦しくて苦しくて堪らないの…
どうやって生きていったらいいのかわからないの…!!!生きていたくない…!」
殆ど悲鳴に近かった。
涙と共に、彼女の心が絶望に沈んでゆくのをはっきりと感じた。
今、此処で、彼女の目に映るすべての世界は暗闇に染まってしまったのだ。

こんなことは、実は初めてでは無い。
ほぼ10年前にも同じことがあったのだ。
彼女は其の時、躊躇うことなく手首を切った。
あの時と同じ暗闇に、彼女は再び佇んでいるのだ。

自分を信じられない
自分のすべてが許せない
自分には生きる価値が無い
自分は誰からも必要とされない
自分を愛せない

「こう在るべき」自分でなければ、
様々な「条件」に当て嵌まらなければ、
自分が此処に斯うして「在る」ことを受け入れられない。
其れは喩えば仕事であったり、人間関係のつまずきに出合った時、如実に反映されてゆく。

「こうでなければならない」自分に成れなかった。自分を追い詰めて追い詰めて
血を吐く程頑張ったのに、なのに何ひとつ「こう在るべき」結果が得られなかった。
何故?神様は如何してこんな酷いことをするの…?
ああ、やっぱり自分は駄目なんだ…。自分は幸せに成れないのだ…。

幼い頃から責められ続け、条件が無ければ周囲に自分を受け容れて貰えなかった友人は、当時の辛い想いに縛られ、今尚苦しみの渦中にあるのだ。

心に絡みついた、自己否定と云う名の重い鎖。
それは姿を変え形を変え、完全に浄化される其の瞬間まで炙り出されてゆく彼女の影。





彼女と私はとてもよく似ている。
見た目は全く異なるし、辿って来た道のりもそれぞれ違う。
けれども似ているのだ。互いにとっていちばん大きな学びの形が。

自虐の影は、私自身も幼い頃から直面しているものだ。
多くの人がそうである様に、私も心の影に縛られ、のたうちまわってきた。
実際、取り巻く軋轢の殆どがこの問題(自己否定)に帰結していくのだ。
現象に振り回され、苦しみに翻弄される日々…。
其の苦しみから逃れる為に、貪る様に読みあさった精神世界(スピリチュアル)の本。
15.6歳の頃、新興宗教の門を叩いたこともある。
(これは、友人を取り巻く環境の悪化がきっかけだった。短い期間だったが、
少しでも彼女に救いが在れば、と藁をも掴む想いだった。彼女を失いたくなかったから。)

そうやって紆余曲折を経て、私の精神世界への扉は開かれた。
自己と向き合う、「内観・内省」と云う概念を知ったのもこの頃だ。
日々の経験と、与えられた知識と、手探りの自己探求。
其れは今、この瞬間も続いている。其れを学びと呼ぶのだろうし、
これからも続いてゆくものでもあるのだろう。

其の(学びの)中で得た私なりのひとつの答えが、

「真の自己愛が、取り巻く世界を光に変える」

と云うことだった。

身の内に潜むあらゆる影を許し、愛することは、目にするすべての影を受け容れると云うこと。
(すべてが学び、すべてが私を映し出す鏡だ)
見つめて、感じて、すみずみまで受け容れきった時、
はじめて影の中心から真実が溢れ出す。
反転する世界。暗闇は光に変化し、絶望は愛へと姿を変える。

そうして世界は愛に満ちてゆくのだ。
周りが変わるのではない、自分の心に映る世界が変わるのだ。
私はそう信じている。魂で感じている。





現実として、記事に時々書いている様に私は私の在りのままを許せていない。
正確には、許しきれていない。私の中には、まだまだ沢山の影が眠っている。
今の私は、自分の愛し方を少しずつ思い出しながら、
身の内に巣食う影とじっくり向き合い、ようやく昇華を始めたばかりだ。
云うなれば、よちよち歩きの子供のようなもの。

でも、すべてではなくとも、私自身の影のひとつ(自己否定をする自分を受けとめられずに、更なる自己否定を繰り返す自分)を受け入れたことで、魂が開放され、心の奥底に在る温かく優しい光に気付くことが出来た。調和の波動が、自分の内から湧き上がるのを感じるのだ。

否定をしないと云うことが、
何者をも責めないと云うことが、
こんなにも心安らぐものだなんて…

斯うして書き込みをしている今も、胸の奥が温かい。

私は、幸せだ。喩えようもない程に…。

ひとつ、またひとつと影を昇華してゆけば、其処には、真の歓びが待っているのだ。
焦らず、ゆっくりと、私の魂が望むままに、これからも歩いてゆく。
本当の幸せは、私の心の中に…。





暗闇に佇む友人に、この安らぎを伝えてゆこう。私たちはいつだって許されている。
私たちは、条件づけされることなくそのままに愛されている。

彼女は、自分を許しきれない私自身の影の映し出しでもあるのだ。いわば、もうひとりの私。
彼女だけではない。きっと、すべてが。いのちのすべてが…。
だから私は祈りを捧げる。

惑い喘ぐ私たちの影が浄化され、あふれんばかりの愛の光に充たされますように…。


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